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吉水の 流れ大きく 千歳川  ひろめたまいし 鎮西国師
(善導寺の御詠歌・第61世 一田善寿台下 御作)              

■ 善導寺は・・・

  ここは福岡県久留米市東部。境内の北には九州最大の筑後川が流れ、南には耳納の山々が望めるたいへん空気のすんだのどかなところです。
 このお寺、昔は井上山光明寺と申しておりましたが、聖光(しょうこう)上人はこの地で、浄土宗の開祖、法然(ほうねん)上人の念佛の教えをひろめられました。
 源平争乱の後、中世への転換期に、筑後の在国司兼押領使であった草野氏を外護者として、聖光上人が開山となり、13世紀初頭に浄土宗寺院として歩み始めました。



大庫裏


本堂



筑後川と夕日

 
 聖光上人によって念佛興隆の基礎がつくられ、現在では浄土宗の大本山として、また九州の浄土宗の教化の拠点、念仏の根本道場として位置付けられています。





聖光上人




 聖光上人は、応保2(1162)年5月6日、筑前香月(現在の北九州市八幡西区)に香月城々主の甥として誕生されました。
 母上は出産のため落命され、上人はのちに産屋の跡に吉祥寺を建立されています。

 幼少にして出家され、やがて法然上人との出会いにより師事すること8ヶ年、その後九州に下って48ヶ寺を創建されました。





二十五菩薩来迎像



■ 聖光上人は・・・

 鎌倉仏教は念仏の元祖、浄土宗開祖法然上人による立教開宗で幕を開けました。
 その法然上人の直弟子がこの聖光上人であり「浄土宗の第ニ祖上人(浄土宗二代様)」ともいわれています。
 また、聖光上人の呼び名の他に、「鎮西(ちんぜい)上人」、「弁長(べんちょう)上人」などがあります。



開山忌


筑後川沿いの菜の花

 上人はさらに浄土宗の本義を第三代然阿記主良忠上人に授け、嘉禎4(1238)年2月29日、77歳で示寂された。滅後仁孝天皇より「大紹正宗国師」の号を賜わりました。
 著書には「末代念仏授手印」等があります。
■ 六地蔵・・・

 伝説には、聖光上人が遊行の途中、6人の盗賊に遭い、その6人を教化改心させ、その地を佛法有縁の地と定めて井上山光明寺を建立し、のちに改めて善導寺といわれるようになったという話も伝わっています。




六地蔵



南側に連なる耳納山から見た善導寺町周辺

空から見た善導寺境内


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