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国指定重要文化財 善導寺 大庫裏他六棟 保存修理工事



H16.11-12



●本堂 荒壁塗り ・ 大庫裏 屋根
  (H16.12.16記)
本堂 荒壁塗り
ここをしっかり丁寧に仕上げて、十分な乾燥を待つと強い壁ができるそうです。
なんでも基礎が大事ということですね。
大庫裏 屋根 野地板 夜の工事風景
12.15 pm6:00
真っ暗になるまで作業が続きます。


●大鋸(おが)挽き 実演・講演・見学会 
    平成16年12月11日(土)午後1時半〜4時半

 善導寺の本堂内に保管されていた、長さ2メートル60センチある2人挽きの巨大なノコギリ。この大きなノコギリのことを「大鋸(おが)」と言います。
 現在本堂の修理をするにあたり、楠の木でできた巨大な本堂の回廊(縁板)をどうやって製材したのか?という疑問がおこり、そして見つけたのがこの大鋸です。調査により国内に現存する大鋸の中で、最大のものだとういことがわかりました。
 この大鋸を実際みさなんにも知ってもらおう、更に、当時(江戸時代頃)はどうのようにしてこれを使ったのか?ということも併せて実演を行う計画がなされました。
 当日は150名を越える見学者が集まり、大鋸挽きの実演、大工道具に詳しい(財)竹中大工道具館(兵庫県神戸市)の学芸部長である渡辺晶先生にお越しいただき、大工道具の歴史についての講演、本堂の巨大な縁板の補修工程、現在修理進行中の本堂荒壁塗り、大庫裏の解体状況なども併せて見学をした。
※尚、実演に使用した大鋸は(財)竹中大工道具館に展示されている約20年前に復元された長さ2メートル10センチ程(石峯寺大鋸)のものを使用しました。善導寺の大鋸は枠を新調し展示されました。 
(H16.12.16記)


主催 : 久留米市教育委員会文化財保護課 ・ (財)文化財建造物保存技術協会
講演 : (財)竹中大工道具館学芸部長 渡辺晶先生
会場 : 大本山善導寺 境内・本堂


復元大鋸 目立て」
大鋸の目立てが
できる方は、
今はほとんど
いないそうです
昔の絵巻の絵を参考に
しながら丸太を設置。
丸太は先日の台風で倒れた
倒木を利用
前日にリハーサルを
しました
なかなか上手く
挽けません・・・
特に縦に使うのが
難しいようです
上の方は足場が不安定
これが本当の
「大鋸くず」です!
大きな歯なのに、
非常に細かい
クズがでます
左官の道具や大工
道具も数多く展示
されました
こんなに沢山の
道具を使って
仕上げるんですね
前挽きの鋸
善導寺の大鋸の枠が
できました
補修中の
本堂縁板(楠)
幅1.4m 長さ2m
厚さ10センチ
見学会当日
受付
早くから沢山の見学者が訪れた 横から挽く実演 大きな歯でも少しずつしか
挽けません
挽き音と解説を聞きながら
見守る見学者
現代の工具(チエンソー)も
使ってみました
縦に挽く実演
前挽き鋸で両側から挽いています 挽き跡を確認
本堂の縁板とも比べ、
一致することが
わかりました
渡辺先生もチェック
本堂一杯の見学者 渡辺先生の講演 作業倉庫内での柱の
補修方法などを説明・展示
善導寺の大鋸
やはりかなり大きいです
本堂荒壁塗りの実演 重要文化財大庫裏の解体状況
パネルや展示品も多く、興味深々 善導寺の大鋸を
使わないと
この巨大な縁板の
製材は
できません
今回使用した石峯寺復元大鋸
(竹中大工道具館蔵)


●今回のパンフレットとして使った資料より(原稿抜粋)


 平成15年から始まった大庫裏他六棟の修理も着々と進み、釜屋・中蔵の解体調査が終わりました。現在、大庫裏の解体とそれに伴う調査を進めつつ、本堂縁廻りなどの部分修理も同時に行っています。現在の本堂は、安永二年(1773)の火災の後、天明六年(1786)に再建されたものだと伝えられています。

 さて、この本堂に使われている巨大な縁板、厚み10p、長さ2m、幅は最大で1.4m近くのクスノキが用いられています。板とよぶには大きすぎる感すらあるこの縁板、今のように電動の工具もない江戸時代に、一体どのようにして製材したのでしょうか?

 その答えを知っているのは、本堂の外陣隅に保管されている非常に大きな片刃の鋸(のこぎり)です。全長2.6mと人の背丈よりも長く、現代に生きる私達から見ると冗談のような大きさの鋸ですが、今回の主役はこの大きな鋸です。
 善導寺に残る大きな鋸のことを、建築の専門用語では、文字通り大きな鋸と書いて大鋸(おが)と言います。その大きさからも窺えるように一人では挽けないため二人で挽きます。現存する二人挽きの大鋸は日本中で15本しか見つかっておらず、その中でも善導寺の大鋸は最も大きなもので、大変貴重なものと言えます。

 さて、この大鋸、どうやって挽くのでしょうか?史料をひもといてみると、今から500年以上も昔、室町時代の中頃に描かれた『三十二番職人歌合』という絵巻に「大がひき」という職人絵があり、この絵には二人の大がひきが「大鋸」を挽く姿が描かれています。
 この絵からは、H型の竹枠の一方に善導寺に残っているような鋸身をとり付け、反対側にかけた弦(棕櫚縄など)を捻じって鋸身を張り、二人で挽いて使っている様子を窺い知ることができます。

 一般的に鋸は大きく二つの種類に分けられます。木の繊維に対して直角方向に挽く横挽きの鋸と、繊維と平行に挽く縦挽きの鋸です。この職人絵をよく見てみますと、大きな木材を繊維と平行に挽いて長く広い板材を取ろうとしていることから、これが縦挽きの鋸であることが分かります。

 日本における縦挽きの鋸の登場は横挽きの鋸よりも遅く、15世紀中頃に当時の中国との勘合貿易を通じて日本にもたらされたものと考えられています。それまでは、切るのではなく木目に沿って打ち割る「打ち割り製材法」と呼ばれる方法によって柱や板などの建材を得ていました。
 しかしながら、割るといってもどんな木でも簡単に割れるわけではなく、木の繊維に沿ってまっすぐに割れる性質を持ち、素直に育った木でないと四角い柱や板はとれるものではありません。そのため中世に入ると、檜や杉のように木目の通った良材が枯渇しはじめ、木材調達が次第に難しくなりつつありました。

 縦挽きの製材用鋸「大鋸」が大陸から伝来したのは丁度その頃です。木目に関係なく自由に製材できる大鋸の登場は、建築に大きな影響を与えました。松や欅などそれまで使いにくかった木材の利用範囲が広がり、無駄無く、正確に製材できるようになりました。とくに薄い板材や細い角材などが加工しやすくなり、天井や床の構造や、建物内外の意匠に大きな影響を与えました。

 この頃に本格的な設計図が出現し、木割の技術が体系化しはじめるなど、より精密な設計技術が発展したことや、建築彫刻が盛んに用いられるようになったことなども、こうした動きとは無縁ではなかったと考えられています。

 縦挽き鋸(大鋸)の登場は、この後、日本の製材と建築技術、様式を大きく変えることになります。

 冒頭でも触れたように、善導寺に残る大鋸は全長で2.6m、鋸目の長さは2.2m程です。善導寺に現存する縁板のうち最大のものの板幅が1.3mですから、差し引きでひと挽きの長さの限界は0.9mとなります。これほど大きな大鋸でなければ善導寺本堂の縁板は製材できなかったと言えるでしょう。

 また、縁板の木目を見ていただくと分かりますが、その木目は芸術的なまでにうねりを持っています。このように木目が通らない材から板材を製材するということも、それまでの「打ち割り製材法」では不可能ですので、縦挽きの大鋸無くしてはあり得なかったことと言えるでしょう。

こんな大きな板をどうやって製材したのかな?
という単純な問いかけに対して、善導寺本堂の縁板は、その製材方法の背景として広がる日本の建築技術の歴史までをも今を生きる私達に物語ってくれます。
 そして、さらなる問いを発し、より深く声を聞こうとする人には、さらにより多くの情報をもたらしてくれるかも知れません。このような可能性を秘めた部材を、私達現在世代に生きる者は、将来世代へと手渡す必要があると考えます。
 本堂縁板の繕いには、大工さんをはじめ、そのような思いを共にした修理工事に関わるすべての人々の心意気が込められています。



●本堂・大庫裏 解体調査
 11月になり、すっかり秋らしくなり朝晩冷え込むようになりました。工事の方々は真っ暗になるまで作業を続けてくれています。
 今回は本堂の木階(もっかい・正面の階段)や大庫裏の内部、素屋根の屋根部分の設置などを報告します。
 その他に、本堂の壁を解体する足場が本堂内部にも設置されています。そのために当山職員も仏像、仏具の移動に大忙しでした。本堂内部は随分狭くなってきました。参拝の方々に大変ご迷惑をおかけ致します。
(H16.11.17記)
本堂木階の解体 本堂内部にも足場
大庫裏内部(東側) 大庫裏内部(梁) 白蟻の被害多し
大庫裏素屋根(屋根部分設置) 素屋根最上部より。
大楠をこんな角度から
撮影できます。
大庫裏屋根と
素屋根の間
本堂東側 倉庫内
本堂縁板正面部分
一番大きな板です
倉庫内
縁板修理のようす
倉庫内
補足材を乾燥


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